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ピアノを習っていたのは6歳〜13、14歳頃まで。当時は週に一度のレッスンが大嫌いで課題曲を全く練習せずに、ゲームの曲などばかり弾いておりました。それでも中学生まで続けていたのは単に強制されていたからです。止める時に未練の欠片もありませんでした。
しかし大学受験の頃、おそらくは受験という目の前の現実逃避として無性にピアノが弾きたくなり、8年ものブランクも気にせずいきなりベートーベンの「悲愴」(第二・三楽章のみ)に挑戦。一年かけてなんとか最後まで弾き、その後「愛の夢」「主よ人の望みの喜びよ」「花の歌」やソナチネを弾き殴りました。ピアノを弾くことが楽しいと思ったのはその頃です。強制されるとやる気が起こりませんでしたが自主的にならどんな曲を弾いても楽しかったのできっと元々ピアノは好きだったのでしょう。
しかしきちんと習っていたのは中学生までです。しかもバイエルとブルグミュラーとわずかにソナチネの曲をやっていたのみ。他は10年近いブランクが空いた後に独学で叩いていただけです。記号や指示表記の意味も忘れかけていますし、何より正しい弾き方が全くわかりません。難易度をあえて無視して弾きたい曲に片っ端から挑戦していったのですが、「主よ人の望みの喜びよ」に挑んだ際に壁の存在に気づきました。ソプラノのメロディーや和声の表現の仕方が全くわからないし、それを自分で解決することはほとんど不可能なのです。ああ、これはちゃんとバッハをやっていないとダメなのだろうなと気づかざるを得ませんでした。そんな訳で、いつかはもう一度ピアノを習い直して基礎から身につけたいと思っていました。
その後、上京後も弾き続けようとデジタルピアノ(YAMAHA P-80)を購入したのですが近年の忙しさにかまけて、このデジタルピアノは物置となっておりました。
また弾きたいという気持ちは強い。でも無精なので家でこの物置の上の荷物をどかして弾く気もしない。これではいけないと思い、きっかけ作りのために思い切ってYAMAHAに駆け込み、昨日からまた習い始めてしまったのでした。うーん、勢いって怖いですね。のだめカンタービレの影響もあったかも。(笑)
十数年ぶりのレッスン。グランドピアノ。といっても初回はレッスンというよりも面談で、今後の方針やレベルの測定を行ったのみでした。といっても弾くことになるのは予想できていたので取りあえずソナチネ1番を3,4日練習して行ったのですが、数年ぶりだとやはり手が動きません。特に左手の4、5はまるで別人の手です。当日、やはり弾いてくれと言われたので練習してきたソナチネ1番を弾いてみましたが間違えたり止まったりでお粗末なものでした・・・。
それでもソナチネの経験者ということでクラシックピアノ6というクラス(といっても個人レッスンですが)に。ちょっと月謝が高すぎる気はしますがー。
一回聞いての先生のご指摘は下記。後のためにメモっておきます。
・指を上から振り下ろしている。弾く前の瞬間、指は鍵盤の上にあるもの。叩くな。
・指使いが悪い。
最初の課題曲はソナチネの12番。それに練習曲として、持参したピアノのテクニックとツェルニー30番練習曲を最初からやることになりました。昔習っていた頃にツェルニーはやらなかったので、この年にしてツェルニー初体験です。
いきなり三曲をやることになってしまいました。しかもレッスンは一週間後です。どこまでできるのか、いつまでこの緊張感を持続し続けることができるかはわかりません。いつまで怠惰な自分が通い続けられるのかはわかりません。が、少しは長く続けたいものです。子供の頃と違い身銭を切っていることが、匙の抑止力になってくれることを期待しながら初日のレッスンは終わったのでした。さて、どうなることやら。